80年代、アメリカからスタート
ピンクリボンは乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを伝えるシンボルマークです。この運動は女性の8人に1人が乳がんを患うといわれているアメリカで80年代から盛んになりました。乳がんはごく早期に発見されれば95%が治癒すると言われています。このため、行政、市民団体、企業などが乳がんの早期発見を啓発するためのイベントを展開したり、ピンクリボンをあしらった商品を販売して収益を研究団体に寄付したりする運動が積極的に行われました。その結果、検診率が高まり乳がんによる死亡率は低下しました。
日本では、女性の20人に1人が乳がんになると言われています。にもかかわらず、乳がんに対する関心も検診率も低く、気付いた時には進行がんが多いという状況です。よって、乳がんで亡くなる女性の数も急増しています。2006年に乳がんで亡くなった女性は11,175人(厚生労働省 人口動態統計)で、年々増えています。女性の壮年層(30から64歳)のがん死亡原因の第1位となっています。
患者数の推計では、20歳台を過ぎたあたりから急に増え始め、45~49歳のピークまでうなぎのぼりです。他の主ながんは60歳代以降がピークになりますが、乳がんは早い年代にあるのが特徴です。
乳がんの原因は女性ホルモンの乱れといわれています。現代の日本人女性は、少子化や高齢出産の増加などに関係して、昔に比べて女性ホルモン(エストロゲン)の影響を受ける期間が長くなっていることが原因の一つと考えられています。高カロリーで脂肪の多い食生活も影響していると考えられています。
上記の説明文はパソコンで調べた資料を載せたものですが、実は私の母も乳がんで、私が小学校1年生の時残念な事だが
38歳で亡くしました。
がんと言う病気は、最後の一時までも苦しめる悪魔である。
痛いよう、痛いようと言う母の苦しさから出る言葉、全身に転移したがんはどうし様もなく、少しでも痛みを和らげようとモルヒネを打ち続けるお医者さんを、不安と悲しさの中で自分がそこに立っていた。
ご臨終です。と言われた時、子供ながらそんな、かあちゃん目を覚ましてよと揺すったが、二度と目を開けることは無かった。
その後、親父は23歳の後妻を迎えたが、私は未だに母さんとは呼んだことはない。と言うより呼べない位無き母が大好きだったからである。
今日この事を書いたのは、テレビでシンガー・ソングライターの大野靖之さんが学校のゲストコンサートに招かれて、彼のプロフィールの中で、18歳の時母を乳がんで無くした事が言われたのが、私の心の中でふと浮かんだ母の事が走馬灯のように思い起こされたので、調べたらピンクリボンにたどり着いた訳である。
ピンクリボンは妻の仕事の関係で少し前から知っていたが、20人に一人の確立で罹る乳がんは、ぜひ検診で早く発見して撲滅してもらえたら天国の母もさぞ喜ぶ事だろう。